363389 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

Chiropractic  健康はカイロプラクティックとともに 

Chiropractic 健康はカイロプラクティックとともに 

▼なぜこの仕事を?


予防医学のカイロプラクティック

WFC 写真

RMIT大学のサイトはこの字をクリックして下さい。

どうしてこの仕事になったんだろう    どうしてこの仕事になったんだろう    どうしてこの仕事になったんだろう    どうしてこの仕事になったんだろう    どうしてこの仕事になったんだろう 


どうしてこの仕事になったんでしょうね。

今になって思っても不思議だと思っています。

今から遡ることもう二十五年以上も前の話しになります。


その時はかなり辛どい仕事をして、体の筋肉がくたびれていて、友人の鍼灸師さんに施療を受けました。

この時に保険治療で鍼灸を受けたいと思い、友人にその手続きを聞きました。

そしたら彼曰く、「大体一ヶ月くらい整形外科に行ってその医者が整形では治らないと自覚した時点で、鍼にでも行くかと言われて初めて証明書みたいなものを貰う。そうして保険請求手続きが出来る書類が作れる」 とそう言ったのです。

私は「そんなに手続きが必要なんか?」といぶかしく思いました。

でもそうしないと鍼灸で保険治療が出来ないことが判り、彼が勤めている整形外科の所へあしげく通いました。 通わされたという感覚が正しいでしょう。

そして 「なかなか治らないのですが・・・」 と整形医に言い続け、やっと整形以外で治療出来るように手続きをとる事が出来ました。

それから友人の所へ何度も通いましたが、どうしても鍼灸では腕の関節痛は治りませんでした。

それで鍼灸では無理だと思っていた矢先に、友人の口から、「この近くにカイロプラクティックということをしている所があるから、一度行って見たらどうや?」 と言われました。

そして彼が案内するのですが、その場所は彼の家の直ぐ傍にありました。 それで何日か経った時に、そのカイロプラクティックの所へ行くことにしました。

初めて行って見ますと、木の看板に墨で字が書いていましたが、「カイロプラクティック」とは成っていませんでした。

それで恐る恐る引き戸を開けて入りますと少し薄暗く奥まった部屋が在り、私の目の前に大きな神棚が見えてきました。

直ぐに心の中で 「ここへ来てはいけなかったのではないか?」 という疑問が生じました。 本当に薄暗い宗教的な雰囲気の所だったからです。

はっきり言って、宗教的な雰囲気は好きではなかったからです。

しかし家の中に入った以上出て行けなかったので、治療を受けることにしました。

施療者はどの様にするのだろうと思うと、私はすぐに仰向けにさせられて、体中を整体されて行くのです。

ここの記憶は曖昧なので正しく伝えることは難しいですが、私に対して治療師が問診をしたのかどうか覚えていません。 勿論検査は一切無かったことは確かです。

私の問題は腕(肘) だけだったんですが、体中の関節を物凄い痛さを持ってポキポキさせていくのです。

本当に痛かったとしか言い様がありませんでした。 サゾマゾの世界としか言いようが無かったですね。

当時の金額で、六千円を請求させられました。(今思えば、物凄い金額です)

友人に行くと言った手前上、もう一度行き、合計二回行くことに成りました。

しかし腕の問題は何の解決にもなりませんでした。

そこの施療は余りにも怖かったので、三回目に行こうとは思いませんでした。

そしてその治療所からの帰りに、友人の家に行く前にこう思ったのです。

「これはカイロプラクティックじゃない!」

この様に思っていたのです。

でもこの思いは時間と共に忘れ去ってしまっていました。


それからというもの、二十数年間忘れていましたが、ある日「どうしてカイロプラクティックへの道を選んだんだろう」 ということを反省していましたら、この友人との関係を清算しなければならない事に気が付きました。

その反省の中で私はこのカイロプラクティック治療所めいた所に行っていた事を、その途中で思い出しました。

そして「どうして私はこの場所に行くことになったんだろう?」、と心の動機を探していました。

勿論そこには、鍼灸師の友人のアドバイスがキッカケであったことは事実です。

でもこの問題に取り掛かった最初の頃では、その治療所に二回行った事だけは思い出していました。

でも二回目の治療? が終わった時に、私の心にその時に思った「後悔」と共に出て来た先ほどの言葉は思い出せませんでした。 普通、起こった出来事(事件)は大概思い出すことは出来ますが、なかなかその時に起こった出来事(事件)で思う、心の中の思いまで思い出すのは難しいものです。

ところがある日、私のお客さんと治療中に色々な話をしていました。

そしてこの当時の話をすることになりました。

お客さんの口からから私に対して、「カイロプラクティックへの動機」 を聞かれました。

そして私は先ほど言ったカイロプラクティック治療所? のような所に行った事をお話ししました。

そして二回目の治療? が終わり、友人の家に行くまでの間に 「あれはカイロプラクティックじゃないと思っていました」、とすらすらとお客さんに当時の思いを言っていました。

ところがその時に「へ?!」「あれ?」という感覚が起こりました。 そうなんです、この時の思いを、何時の間にか思い出したんです。

その時に思ったことを思い出したんです。

本当にこの時にまた、人生の不思議さを感じました。

それは、
どうして私があの治療を「カイロプラクティックでない!」、と明言しているんだ。

どうしてそんなことが言えるんだ? という事です。

なぜ当時、私自身は整体やカイロプラクティックも全く知らない人間だったのに、その時にカイロプラクティックを知っていることになるんだ? という事です。

だってそうでしょう。

何も知らない人間が、カイロプラクティックの知識も何一つ持っていなかった人間が、「これはカイロプラクティックじゃない!」、と物事を断定する事が出来るんでしょうか?

本当のカイロプラクティックを受けたことも無い人間が、どうして「あれは違うものだ」という事が言えるんでしょうか?


今になって振り返ってみれば、この現実には説明が付きます。

それは
今私は本当のカイロプラクティックを知っていますし、実際に実行しています。

だからこそいま私は、カイロプラクティックとは何ぞや、と言う事が出来ます。

でも当事の自分は、何も知らない人間です。 一切知らなかった人間です。

それを踏まえて考えるのなら、無理を承知で言うのなら、
私は「この未来を理解していた」、「心の未来を知っていた」と云う事になります。

すなわち、もっと平たく言えば、「未来は予定されている」。この事を理解するための事件だったかも知れませんね。


勿論未来を予定はしていても、確実にその様に成る保証はありませんが、その選択肢を理解していたのかも知れません。


未来は 「混沌」 から生じて来るといわれています。

「混沌」 そのものは、何になるのかは判りません。 しかし人の心と連動しているのは間違いは無いようです。

連動しているとは、「願えば叶えられる」という言葉に近い意味を指しているのかも知れません。

「混沌」は如何様にも、現実の中に表すことが出来るエネルギーかも知れません。

そして全ての人の心に連結されており、その人の「思うこと」が現実化・具現化される、何かが、関連するものかも知れません。

ただ誰もが自分の望む通りに成る保証は全くありませんが、でもどうなるか判らないまま「善良」に生きて行けるのであれば、目に見える形は如何様に変化しても、その中身は、私やあなたが願ったものに完全ではないかも知れませんが、叶えられるのかも知れません。

そして未来に予定されている現実を、自分の足元に近付けさせて行くかも知れません。

時々垣間見ることができる正夢・既視夢は、正にこの事を現実化させているものではないでしょうか?

私達の心の状態・在り方で変化する未来は、実は 「あなたの思いがその様な現実を生み出すもの」 だと思うのです。

戦いを望めば戦いの未来が、あなたを待っているでしょう。

平和を望めば平和の世界が、あなたを必要とするでしょう。


心と体も同じく連動しています。

その意味を深く自分に問い質してみるのも、生きている価値を見出すことに繋がるかも知れませんね。

ただこの仕事を選んだ理由は、昔から、何か人の役に立てれる仕事がしたい、というありふれた思いだったのかも知れません。
そしてお金のため、生活費を稼ぐためだったのでしょう。

形はどうであれ、間違いなく人の役に立つ仕事がしたいと思ったのは事実です。
何事においても、どの仕事も人間を介在して行われるものですから、どの仕事も人の役に立つ仕事ばかりではないでしょうか?

とうぜん医療だけが人の役に立つ仕事ではありません。
人殺しや泥棒、その他の人の悲しみをもたらす仕事は、決して役に立つ仕事ではないと思いますが、それも考え方の違いでそうではないとも思えます。

どの仕事に就こうと、天職として、その道を真っ直ぐに生きる道すがらが、天職ではないかと思えるようになって来たのが最近なのです。


ホームにもどる



© Rakuten Group, Inc.